青葉台のオープニングシンギングの裏話(2)
2022年10月25日は、我々にとっては記念すべき日である。
このNPOを設立するために、賀山氏は劇団四季の後輩数人及び親友に声をかけた。大学時代の先輩に来てもらった。また、彼の奥様も、お友達数人に声をかけた。
2022年5月29日午前10時に設立総会が横浜市都筑区公会堂の一室で、恭しく開催された。
総勢12人。
集まった人々の何人かは知り合いのようだったが、それでも他人行儀な面は見えた。
時間が来たので、私は設立総会を司会を担当した。私のことは誰もが知らない。私の家内の他は。
70歳を過ぎた爺さまが、司会を始めたことに、みんなの驚きの顔を私は見た。
直ぐに私は、賀山氏を紹介し、総会が始まった。
総会の議事進行の要領は、既に、私と賀山氏の間でできていたので、スムースに議事は進行していった。
参加者の中で、株式総会というものに出席した人などは、ほとんどいなかったと思う。
ましてや、特定非営利活動法人(NPO)などというものは、何のことだか、分かってはいなかったと思う。
仰々しく、今年度、次年度の予算や活動方針を等々と説明していったのだから、戸惑うしかなかったと思う。
約40分で総会は無事終了した。
その後は、懇親会。と言っても、新型コロナ騒ぎで、みんなマスクを当てていたため、なかなか話などは出来なかった。
参加者の多くは劇団関係や奥様のダンス教室の生徒さんなどだったから、NPOのこれからの進展に非常に興味を抱いてくれたのではないかと思っていた。しかし、最大の疑問は、私と賀山氏の関係である。
私は、総会の始まる前、私が賀山氏にあったのはごく数ヶ月前であったことを説明したため、みんなの疑問は大きかったようだ。
このNPOがどんな具合になるのか、参加していた多くの人々はボンヤリと興味を持っていたことでしょう。大体、そんなものなのだと私は思っていた。
そんな時から、5ヶ月でNPO法人スタートした。
私と賀山氏は、この事業を如何にして立ち上げて行くかをディスカッションした。
私は、我々の存在を世の中にアピールするためには、横浜市の地区センターでの活動から地道にスタートすることを提唱した。
賀山氏は、どこかを借りて、小さなお店からでもスタートしようと思っていたようだ。しかし、私は、そのことを否定した。なぜなら、資金の借用や投入は簡単にやるべきではないと思っていたから。そして、賀山氏は私の意見に同意してくれた。
私は、近隣の地区センターに片っ端から、電話で我々の提案を持ちかけた。
その光景を見ていた、私の妻は、「まず、若葉台地区センターからやってみたら」と提案してくれた。「私が館長に話してみよう」と積極的に。
ここから、我々の活動は始まったのだ。愛する妻に、私はまだ、「ありがとう」と言っていないことに今気がついた。
「Oh My God!!」