青葉台のオープニングシンギングの裏話(1)

2023年03月30日

外は桜が咲き、その周りには菜の花の鮮やかな黄色の原。まさに、春の真っ只中。

春休みで子供たちは、それぞれ自由に駆け回っている。

こんな光景は、この3年間見られなかった。

私達は、このような時期が必ず近いうちにやって来ると信じて、昨年、NPO設立の準備を始めた。

劇団四季の俳優として30年近く、歌ってきた賀山氏と知り合って、それほど経っていない時、私は興味本位で賀山氏の劇団四季時代の話を聞いた。

彼の口から、劇団四季の創設者である浅利慶太氏の生き方、考え方、覚悟というものが熱く語られた。

浅利慶太は劇団を立ち上げたものの、あまり、うまく行っていなかったそうだ。そんな時、彼はキャッツのミュージカルを見て、愕然としたそうだ。このミュージカルは凄い。これを日本でやろうと決めたそうだ。借金をし、これが駄目だったら、この演劇、ミュージカルから足を洗おうと思ったそうだ。

一方、時は違うが賀山氏は成績優秀だったらしく、国立大学に入学。専門の勉強と合唱のサークル活動で日々を送っていたが、浅利慶太の劇団四季の活動に魅了され、大が卒業前に浅利慶太の門を叩く。よほどの決意で臨んだことでしょう。

その彼が、今の自分の本当にやりたいことは・・・・・、と語り始めた。そして、会社を早急に作って出来るだけ早く、活動をスタートしたいと説明してくれた。

因みに、私は、現在はNPOの事務局を担当しているが、賀山氏とは20歳以上も違う。私は、50歳の時、日本のバブル経済が破綻し、日本企業がバタバタと倒産して行ったり、労働者の大量解雇が起こっていた時、会社を辞めた。そして、小さいながら会社を設立。西暦2000年頃は、まだ、日本ではインターネットという概念を知っている人は少なかった。そんな時代に、将来はインターネットを活用してビジネスが展開されるだろうことを見越して、私はその方面の勉強を始めた。Webも勉強して、自分の会社のホームページを作った。各種ソフトは本で独学していった。

会社としては、全く利益が出ない状態が続いたが、いずれ挽回のチャンスが来るものと信じて各種勉強だけは怠らなかった。

そんな私が、賀山氏にアドバイスをした。

「賀山さんのやろうとしていることは、会社よりもNPOの方がいいとおもうよ。」

昨年の3月に話した時には、賀山氏は「NPO⁉️」といった感じであったようだ。

「私は、会社も作ったことはないし、まして、NPOと言われても判断がつきません。」と賀山氏から返ってきた。

私の経験上、「資金投入はくれぐれも慎重に」、とアドバイスした。

賀山氏も勉強家で、数日後には、「NPOで行きましょう」と言ってきた。「自分にはNPOを作れないので、佐藤さん、作ってくれますか?」と言ってきたので、早速、準備に掛かった。

賀山氏のアイデアをNPOとして具現化しなければならないので、我々は、定期的に喫茶店で4時間以上も話し合った。新型コロナのため、行政の対応も遅く、申請から法務局に登録するまでに4ヶ月もかかった。

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