青葉台オープンシンギング“Sing Along !” 第一回の参加者は?
待ちに待った我々の青葉台オープンシンギング“Sing Along !” が無事終了した。
代表理事の賀山の夢の一歩が叶った。お陰様で。
ひょっとしたら、このオープンシンギング第一回は記念すべきことだったのかも知れないと賀山は言う。
欧米諸国では自由にいろいろなプロが集まり一緒に歌ったり、演奏したりすることは、オープンシンギングは珍しいことではないが、まだまだ、日本はそのような文化が育っていない。
江戸時代に皆が集まって歌を歌う事って言えば、お祭りで酒が入り歌を歌うか、結婚式などのセレモニーで歌を歌うか、それも女性が参加して歌を歌うことなどない。
ようやく、昭和になり、アメリカ軍に日本が占領され、日本の教育も、アメリカの指導で強制的に男女共学が始まったのだ。
考えてみると、今の中国共産党社会を我々が罵るが、日本も太平よ戦争後の50年程度の歴史しかない。
昔、私はイランのテヘランに行ったことがある。1993年頃のことである。街の女性はあの悪名高い黒いヒジャブで髪や顔を覆っている。
日曜日に、仕事のパートナーがテヘランから車でカスピ海まで車で連れて行ってくれた時のことである。
カスピ海まで降りていくには、幾つもの山を越えていかなければならない。
そんな時、山奥で若い男女の集団6〜7人くらいが集まり、カセットラジオで音楽を流し、歌ったり、踊ったりしていた。当然欧米のポップミュージックである。
私はその時、思った。歌や踊りは重苦しい社会から解放されるためには必要なことだ、と。
ああ、我々は日本にいて、男女で一緒に歌が歌える。これはとても幸せなことだ。
実践訓練1
その後は実践訓練2
そして、パートに分かれて、みんな楽しんだ。
イランの続き:
もっと驚いたことに、その山を越えてカスピ海の近くに来ると、なぜか日本の風景に出会したのだ。
家は藁屋で、柿の木があり、その周りには稲が青々としていた。
カスピ海はまさに海である。向こうは何も見えない。砂浜もあり、みんな泳いでいた。しかし、そこはやはりイランだった。砂浜から沖に向かってロープが張ってあり、男女は決して同じところでは泳いではいけないのだ。砂浜のそばにあるレストランの中も男女は一緒に座れない。