家康は武田信玄の戦法に学ぶ その(3)
2023年04月02日
家康は、武田信玄の軍の強さを身をもって知った。
信玄の息子である勝頼の代で滅亡。
そして、家康は武田家の旧臣、将兵たちを大量に採用したのだ。
家康の軍隊を強化するために、プライドを捨て、かつて最強といわれた武田軍の軍団編成や軍法を、自軍に取り入れるためには、武田信玄の家臣を雇うのが手っ取り早いと考えたのだ。
1585(天正13)年の11月、酒井忠次に続く有力な宿老だった石川数正が、秀吉方に出奔した際、これによって徳川軍の編成は、秀吉方に筒抜けになると判断した家康は、躊躇ちゅうちょすることなく、それまでの軍団編成や軍法を廃棄して、滅亡した武田軍のそれを採用した。
最も合理的なやりかたである。